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ルーシーの日記
(翻訳・速記録内訳文)
ルーシーの日記
(英文の原稿)
公判 速記録
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事件2
織原被告との「プレイ」により肝障害を起こし、「プレイ」の2週間後に劇症肝炎から脳死となり死亡した疑いで起訴された、外人ホステス カリタ・リジュウェイの事件について、法廷で検察側の証人として出廷した法医学者の石山晃夫氏は、「カリタ・リジュウェイの肝臓は、彼女が織原被告と会った当時よりずっと以前から、慢性かつ急性の肝障害があった」ことを明らかにした。
また当時、1992年2月16日の日曜日、カリタ・リジュウェイが具合が悪い旨を訴えたことから、織原被告の手配により、逗子の部屋まで医者が往診に来た事実が判明した。また、その医者が吐き気止めを含む抗生物質を彼女に与えていた事実も明らかになった。
「速記録18回」
カリタ・リジュウェイは、織原被告と1991年12月に出会ったとき、「タカギ」という小さなクラブに居たが、織原被告と出会ってから、当時織原被告が取引銀行の支店長などと通っていたクラブに、彼女自らの意思で移り、その後織原被告との間で、客とホステスとの関係(肉体関係)となった。
織原被告は、彼女と「プレイ」をする以前、既に客とホステスとの関係(肉体関係)があり、逗子の織原被告の部屋には2回行き、「プレイ」を行ったのは2回目のときではなくそれより数週間前の最初のときに行った、ということである。
いずれにせよ法律家によると、この起訴には極めて重大な問題があり、つまり法律用語で「第三者」が明らかに存在しているということである。
この「第三者」の存在について法廷で明らかになったことによると、1992年2月17日(月曜)早朝、彼女は織原被告とともに彼女の外人アパートから歩いて数分の「秀島病院」(このカリタの件で、批判を浴び2006年5月1日病院名を変更)へ行き診察を受け、当日午後2時ころ肝数値が異常であるということが判明した、ということであるが、「秀島病院」は食中毒と診断し食中毒薬としてテトラサイクリン、クロルプロマジン、吐き気止めとしてクロラムフェニコール、解熱鎮痛剤としてアンヒバ、メチロン、ボルタレンを一日3回脳死となる2月23日まで大量に与え続けた。
これらの薬剤であるテトラサイクリン、クロルプロマジン、クロラムフェニコール、アンヒバ、メチロン、ボルタレンは全て重篤な肝障害を起こす薬物であり、肝障害が発生しているときには決して使用してはならない薬物である。
「速記録36回」
これでは傷口をどんどん深く大きく広げ、助かる者も助からなくなってしまうことは明白である。
以上の点に加え、当時彼女の肝臓組織を電子顕微鏡で検査した東京女子医大の専門医達が、彼女の劇症肝炎の原因・理由がウィルスである、という結論を出していたことも判明した。
「カリタ主治医」
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